職住近接のすすめ

通勤時間が10〜15分になったことで、めちゃくちゃ快適だ。

朝はゆっくりしても、8時過ぎに家を出れば余裕で間に合う。

19時過ぎに退勤しても、子供のお風呂と寝かしつけに協力できる。

21時には子供たちは寝て、その後は大人時間である。

夫婦でドラマを見ながら、ああでもないこうでもないと話したり、

お菓子つまんだり、見逃し配信を眺めたり。

そこだけ切り取ったら、そんな時間は無くても構わないと思う。

むしろ無駄な時間と思う人も少なくない。

でもそういう時間があるか無いかは、夫婦や家族にとっては、長い目でみたら大切なことだと思う。

 

前職では、都内の勤務先まで片道90分弱かけて通勤していた。

電車に乗って、バスに乗ったり歩いたりで90分弱。

電車の中で本を読んだり漫画を読んだりして苦痛ではなかったけど、

今と比べたら日々のストレスは積み重なっていた用に思う。

今から1時間ちょいかけて職場行くか...

これから帰ったら90分後か...

と、少なくとも1日2回こういう気持ちになるわけだから。

混んでたら立ちっぱなしだし、通勤ランッシュの混雑具合は、

なかなか身も心もやはりすり減るものがある。

 

職住近接と言われてから久しいが、コロナ禍で郊外移住や田舎暮しも注目されている。

一長一短ではあるけど、教員のように通勤が存在する以上は、

職場が近いことのメリットはやはり大きい。

身を持って体感すると、言葉以上のメリットが溢れている。

これもライフワークバランスを整える上で、大切な要素の一つである。

と、どちらも体験したからこそ断言できる。

 

大人時間をぐうたら過ごすのも大好きだけど、

なるべく読書にあてたいと思う今日このこのごろ。

昨日ようやく1冊読み切れた。

図書館で借りた本を、2ヶ月くらい延長して読んだ。

恥ずかしい。

 

 

 

 

ライフワークバランス

先日の締切ラッシュをなんとか乗り越え、

その週末、夜珍しく晩酌して、土日は家族と過ごすことに専念。

一緒に過ごすことで、お仕事もっと頑張らないとという気持ちにもなる。

一緒に過ごすことで、もっとゆっくり休みたいぜという気持ちにもなる。

どっちも本音で、どっちも大事。

ライフワークバランスを忘れずに、日々過ごしていきたいものですな。

 

金曜日の夜に晩酌して浮かれ、

土曜日に子供たちと遊びまくり、

日曜日はゆっくり過ごす。

 

これをベースにしたいところ。

日曜日がんばっちゃうと、月曜日を使えて迎えることになるので。

今更気づいたの?って感じですが、今更気づいたんです。

 

さてさて今週で後期の授業も無事終わり。

オンラインに切り替わるか?と思ったけど、原則対面のまま終了。

試験だけオンラインとかになると、お互い大変ですからね。

これからしばらく、採点の祭典です。

シラバスと締め切り

ブログ始めよ!とかいう最初の投稿から、約1ヶ月程経ってしまった。

危うく早速引退するところであった。

前回投稿してから今日までの間に、年内の授業が終わり、学内でちょっとした催し物があっり、冬休みになり、年末年始を家族とぐうたら過ごし、冬休みが終わり、授業が再開。

学生に冬休みの様子を聞いてみると、年末年始もアルバイトで忙しかったり、

試験勉強をやっていたり、普通に偉いなぁと思った。

ここの学生は、比較的真面目なのかな。

 

この時期、来年度のシラバス作成の締切が迫ってくる。

学生の頃は、シラバスって意味あるんか?くらいに考えていたけど、

大きな間違いだ。きっと真面目な学生はシラバスを熟読して、

どの授業をとろうかな、どんな知識を養えるかな!キラキラ

なんて希望に溢れた面持ちで、シラバスを手にすることであろう。

本音を言えば、来年度のましてや後期の授業のことなんて、

今考えてらんないよ!今やってる毎週の授業や試験問題のことで、頭いっぱいだよ!

と個人的には思っている。こういうところで、自分のスペックの低さが如実に現れる。

 

シラバスとは別に、今週末はいろんな締切が待っている。

次年度の研究費助成の公募だったり、会議資料だったり、なんか色々だ。

というわけで、今週末色々締切あるから職場行ってくると奥さんに言って、

ちょっと家事を手伝い、さっそうと家を出たわけである。

すまぬ妻よ!すまぬ子供たちよ!

パパは職場に着いて、ネット記事に一通り目を通し、

無駄なブログを書いている!

なんならコンビニに寄り道した!

 

2022年はどんな1年になるのかな。

そんな事考えてるうちに10日間も経っている。

こりゃあかんな...ブログを書くこと、本を読むこと。

これを継続する1年しようと思う。あと健康!

 

 

日々のメモとして

前々から、日記のような感覚で再びブログを書こうとは思っていた。
でも億劫なのはもちろん、なくても困らないと思い、始めるに至っていなかった。

最近の流行りは(もはや一般的ではあるけど)、
TwitterをはじめとするSNSによる情報収集だし、YouTubeのほうがよく使うという若者も多い。
今更ブログを始めるおっさんも、稀であろう。

この秋から、大学で教員になり、専門である体育・スポーツ分野を少々と教養関連の授業を担当することになった。思っていたよりも後者のパーセンテージが多く、戸惑っている今日この頃である。
というのも、学生時代もさることながら、生まれてこの方教養教育のことなんて、
考えてみたこともなかったからである。そもそも知らなかったけど、時代の流れなのか、今時の高等教育では、許容教育とかリベラルアーツとかを重要視する傾向にあるみたい。肌感覚ではあるけど、まあ確かにそういう類の教育は、若者にはぜひとも受けてほしいなとは思う。教養ってよくわかんないけどね。自分が大学生の頃といえば、部活中心の生活だったこともあり(これが大きな間違いだった)、教養教育科目の授業なんてのは超省エネモードで受講していた。
そんな自分が教養教育を教えることになるなんて...

この時期、大学では来年度の授業に向けてシラバスを作成する。
オムニパス形式の授業では、教員間の擦り合わせなんかもあって(無いこともある)、
ちょっとしたミーティングが頻発している。
そんな中、来年度新たに開講するオムニパス形式の教養科目を一部担当することになり、
これはいよいよ教養について真剣に考えねばならんのか...とビビっている。
教養とは、リベラルアーツとは...といった内容で、なかなか活発なディスカッションが目の前で繰り広げられ、しょっちゅうGoogleでリアルタイム検索をしながらうんうん頷き、あたかも内容を理解したかのように振る舞う日々である。ぶっちゃけすでにおなかいっぱい。

そんな刺激的な日々が続く中、“教養の書”という本を崇高なミーティングで紹介していただき、半分義務感で手に取ってみた。タイトルからして厳かだし、本の見た目も聖書に近いものがあり、厳格だ。そもそも読書をする習慣が無い身からしたら、そんな見た目とタイトルの本は、普通に生活していたら120%手に取らない。でも今回、いろんなミラクルが起こって手に取ることに至り、読んでみた。そしたらなんとその本、今の自分の疑問と似たようなことが、おもしろおかしく書かれているではありませんか。冒頭を読んだだけで、なんて素敵な本なんだ!!と思って、苦手な読書ではあるが少しずつ読み進めている。

もしかしたら、この先何年か経ったら、こんな自分でも教養について考え方が変わったり、教養とかリベラルアーツとかについて自分なりに語れるようになるかも知れない!(絶対ならない)とちょっとだけ思った。そんな幻に近い未来のために、ここはいっちょう教養に対する考え方を、書き記しておいてみようか!と思い、36歳のおっさんはブログを始めてみたのである。誰のためでもなく、自分のためである。

これは36歳、体育教員、教養科目も担当の大学教員のブログです。
日々の出来事を綴っていこうと思います。