日々のメモとして

前々から、日記のような感覚で再びブログを書こうとは思っていた。
でも億劫なのはもちろん、なくても困らないと思い、始めるに至っていなかった。

最近の流行りは(もはや一般的ではあるけど)、
TwitterをはじめとするSNSによる情報収集だし、YouTubeのほうがよく使うという若者も多い。
今更ブログを始めるおっさんも、稀であろう。

この秋から、大学で教員になり、専門である体育・スポーツ分野を少々と教養関連の授業を担当することになった。思っていたよりも後者のパーセンテージが多く、戸惑っている今日この頃である。
というのも、学生時代もさることながら、生まれてこの方教養教育のことなんて、
考えてみたこともなかったからである。そもそも知らなかったけど、時代の流れなのか、今時の高等教育では、許容教育とかリベラルアーツとかを重要視する傾向にあるみたい。肌感覚ではあるけど、まあ確かにそういう類の教育は、若者にはぜひとも受けてほしいなとは思う。教養ってよくわかんないけどね。自分が大学生の頃といえば、部活中心の生活だったこともあり(これが大きな間違いだった)、教養教育科目の授業なんてのは超省エネモードで受講していた。
そんな自分が教養教育を教えることになるなんて...

この時期、大学では来年度の授業に向けてシラバスを作成する。
オムニパス形式の授業では、教員間の擦り合わせなんかもあって(無いこともある)、
ちょっとしたミーティングが頻発している。
そんな中、来年度新たに開講するオムニパス形式の教養科目を一部担当することになり、
これはいよいよ教養について真剣に考えねばならんのか...とビビっている。
教養とは、リベラルアーツとは...といった内容で、なかなか活発なディスカッションが目の前で繰り広げられ、しょっちゅうGoogleでリアルタイム検索をしながらうんうん頷き、あたかも内容を理解したかのように振る舞う日々である。ぶっちゃけすでにおなかいっぱい。

そんな刺激的な日々が続く中、“教養の書”という本を崇高なミーティングで紹介していただき、半分義務感で手に取ってみた。タイトルからして厳かだし、本の見た目も聖書に近いものがあり、厳格だ。そもそも読書をする習慣が無い身からしたら、そんな見た目とタイトルの本は、普通に生活していたら120%手に取らない。でも今回、いろんなミラクルが起こって手に取ることに至り、読んでみた。そしたらなんとその本、今の自分の疑問と似たようなことが、おもしろおかしく書かれているではありませんか。冒頭を読んだだけで、なんて素敵な本なんだ!!と思って、苦手な読書ではあるが少しずつ読み進めている。

もしかしたら、この先何年か経ったら、こんな自分でも教養について考え方が変わったり、教養とかリベラルアーツとかについて自分なりに語れるようになるかも知れない!(絶対ならない)とちょっとだけ思った。そんな幻に近い未来のために、ここはいっちょう教養に対する考え方を、書き記しておいてみようか!と思い、36歳のおっさんはブログを始めてみたのである。誰のためでもなく、自分のためである。

これは36歳、体育教員、教養科目も担当の大学教員のブログです。
日々の出来事を綴っていこうと思います。